大沼和上は学問と信仰と布教と三拍子揃われた方です。
経 歴
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旧姓 | 村岡 正人 |
生年月日 | 明治29年(1896年)12月10日 ※『親ごころ』に詳述 |
生誕の地 | 山口県岩国市装束 ※『親ごころ』に詳述 |
明治44年(1911年) | 4月 広島第四仏教中学入学 5月 お母さんがハワイへ(学費捻出の為) ※『親ごころ』に詳述 |
大正5年(1916年) | 4月 仏教大学予科入学(龍谷大学) |
大正9年(1920年) | 9月27日 得度式 ※『思いのまま』に詳述 |
大正10年(1921年) | 3月 仏教大学本科卒業 卒論『七祖より高祖に至る三往生の展開』 4月 仏教大学研究科(大学院)入学 ※『思いのまま』に詳述 |
大正12年(1923年) |
7月21日 岩国に帰郷 7月22日 広田氏方で最勝講 7月30日 田中氏方で最勝講 8月1日 純心講 8月3日 上岡みよさんにより信心に動揺 8月4日 弘中長一氏により信心に動揺 8月13日 お母様からのお手紙で自力信が崩れる 8月19日 信心獲得(27歳) ※『入信の道程』に詳述 |
大正13年(1924年) | 1月 歓喜の余滴になる日記が書かれる 3月 仏教大学研究科卒業、『助正論』 12月3日 敬行寺入寺(大沼善隆勧学の養子) |
昭和2年 |
毎日門徒の家や寺で、年間644席の説教 6月15日から9月15日まで90日間 正信偈講話 257席 9月25日 声が出なくなられる。別府温泉へ湯治に。 |
昭和5年 | 養父、大沼善隆氏逝去、贈勧学 3月 思いのまま 発行 3月 親ごころ 発行 3月 原稿集 発行 |
昭和10年 | 3月 歓喜の余滴 発行 12月 魂のささやき 発行 |
昭和11年 | 5月 他力信仰録 発行 |
昭和14年 | 6月 ハワイ布教 2ヶ月間(両親の求めに応じて) 御両親を迎えに行かれた |
昭和20年 | 8月 空襲で敬行寺全焼 京都の総会所、大阪の津村別院、東京の築地別院、いずこも参詣者は、群参 |
昭和23年 | 御母堂 村岡美和さま逝去 77歳 |
昭和25年 | 4月 東西本願寺布教大会第1席(200名の中で優勝)(54歳) 7月25日 入信の道程 発行 |
昭和26年 | 3月 特別招待により布教、ハワイ(3ヶ月)、米国本土(2ヶ月)、カナダ(2週間) 9月まで半年間で講演回数約170回 3月11日 羽田出発、3カ月ハワイ布教 6月1日 サンフランシスコ2カ月布教 8月2日 カナダで2週間布教 8月30日 ホノルル発 9月1日 羽田に帰着 |
昭和27年 | 11月 本願寺から異安心と注意がはじまる 12月 光輪 発行(東西本願寺布教大会のことが詳しく掲載されている) |
昭和28年 | 1月 随想録 発行 |
昭和31年 | 5月 本派本願寺の危機 どちらが異安心か 発刊(60歳) 10月 歓喜の泉 発行(S5~10年頃にも発行されている) 10月 聖典 発行 のちに、宝典になる |
昭和32年 | 12月 広島市庚午本町 450坪の土地を購入 |
昭和34年 | 8月5日 工事依頼、起工式 9月末 親鸞会館完成 10月14日、15日 慶讃会 |
昭和35年 | 7月29日 宗教法人「親鸞会館」認可 |
昭和36年 | 1月1日 法界 発行 |
昭和43年 | 9月20日 親鸞聖人に効く 発行 |
昭和44年 | 5月20日 入信の道程 発行(25年に発行されたものに前後を追加された) 10月20日 昭和の歎異鈔 発行 |
昭和45年 | 5月2日 長者番付に掲載される ※『聖訓』に詳述 |
昭和46年 | 2月1日 親の念願・遺訓 発行 左目は青底ひで失明 広島市に分譲の為、 親鸞会館は閉館 聖訓に記載(P68) 7月20日 聖訓 発行 |
昭和47年 | 2月10日 信仰に悩める人々へ 発行(S5~10年頃にも発行されている) 4月10日 慈訓 発行 5月1日 明闇 発行 7月20日 親鸞聖人に聴く 再販発行 8月1日 教訓 発行(S5~10年頃に発行されているものの題名を変更) 10月1日 宗訓 発行 |
昭和48年 | 10月1日 方便より真実え 浄土真宗 発行 |
昭和49年 | 9月25日 心の転換 発行 10月20日 広大難思の大慶喜 発行 |
昭和50年 | 4月1日 六方礼経の講話 発行 6月1日 昭和の歎異鈔 再販発行 7月1日 八万の法蔵は聞の一字に摂まる 発行 |
昭和51年 | 1月10日 分陀利華 発行 2月1日 宝典 3版発行 4月17日 御逝去 |
※略歴は書籍より抜粋しました。